職務履歴書


MAIN FUNCTION/ EXPERIENCE/ ACHIEVEMENT

 

経営責任者 通算 14年2ヶ月 (海外7年1ヶ月 国内7年1ヶ月)
経営の本態は経営資源 特に人・物・金を如何に有効に活用し、附加価値を高める(対価を得る)かにあると思う。

  西独のオーデオ販売会社を外資と合弁ではじめる時の中長期計画は、先行して販売会社を設立したビクター100%出資のビデオ販売会社といずれ合併する(合併せざるを得ない事態が来る)事を考慮の上、経営する事と考えてスタートした。しかしビデオ経営者は、自らの成果を高める事を第一に考えて経営を進めているかに見えたし、現地人がやはり同じ姿勢であった。やはりトータルビクターのイメージを上げ、効果を上げるには経営資源やサービスの相互補完・相互乗り入れの姿勢が必要であり、最終的(6年後)に自分が合弁を解消し、両社の社長を兼務同一社屋への移転から始まり人・物・金を効率よく運用出きるよう体制を確立してから、後継者に理想の形で継承できた事が大きな経営成果となった。

  アジア中近東本部にしても、厚生年金基金にしても、その経営は「何が経営の目的で、何処まで単独でやれるか! 経営の歯止めを何処に置くか?」である。とくに基金の場合は、例えば運用の失敗――失敗とまでは言わずとも市況の低迷による損失――が本体の経営に直接に半端な数字でなく影響する事を考慮すると同時に、従業員・OBの老後資金と言う「会社の金よりも重い金」という意識を持てば、おのずと経営態度が慎重になるし、本社幹部・組合への説明にも力が入るというものである。経営は説得力を持たねばならない。基金の安全経営の為に本社からエクストラで資金を投入してもらうのも(むしり取る様に)言葉は不謹慎だが、基金経営責任者の努めである。


営業管理  通算  8年5ヶ月(商品事業部5年2ヶ月  海外営業本部3年3ヶ月)

  「前年の数字を割り込まない」という認識を何時でも持って営業活動を管理していた。反面ノルマが大きすぎても営業チームに士気に影響するので、計画上の前年対比を出来るだけミニマムに押さえこむ交渉はいつも活動資金(販売促進費)との関係もあり、悩ましい事であった。計画は慎重に、実績は全開でTRYが、私のモット―。

  商品事業部では、新商品の開発計画(スピード・販売予定価格とコスト(CP)・デザイン・品質・新技術・Sales Points・Promotionなど)が計画通りに推移する事は至難な技で、あり常にNEXT BESTを頭において、計画のズレを何で補充するかが、生産計画部門との勝負で、双方でバッファーを考慮した生産計画で事に臨んだ。当方は、世界を俯瞰し、市場の大きな(売りの強い)地域から販売計画(狙う市場占有率からはじき出した、あるべき販売クォーター)を組み立て、届かないものを、エクストラで何処から稼ぐか、あらゆるルートを活用して(大口小売店とのダイレクトな船積みなどもそのうちの一つ)、達成を期して動いた。カラーテレビ事業部時代に、事業部始まって以来初めて部門利益を黒字にする事が出来たのは、計画は慎重に、実績は人・物・金の総動員で稼ぎ出す事が出来たおかげであった。

  海外営業本部では、販売網の構築(販売子会社設立・代理店の選任・解約)と ブランドイメージの高揚と人材育成が 主な任務であるが、商品事業部との連携で、市場にしっかりと根を下ろした販売体制(人・物・金の投資効果を高める事の出来る)が出来あがると、市場占有率に明確に反映されるところが、営業管理の楽しいところである。市場占有率が万国共通の挑戦目標である。おかげで国内の市場占有率をハルカに凌駕しているのが海外グループの誇りであった。同時に、海外現地法人をアジア中近東地区で3カ国・1地域で新設し、既存の物と合せ8社に増強する事が出来た。


営業  通算  5年(国内)
自分で売る自身のないものは、買うな!自分で売れるもの(売れる条件)にさせろ!

  自ら売り歩いたのは国内営業の5年間限であったが、カラーテレビを店の従業員に店で売るだけではなく、外販を経験させる事により、来店客のありがたい事を植えつける店員教育としての販売推進策をイトーヨーカド-などのスーパーや丸井などのクレジットの本部商品担当役員などに売り込んで,電気売り場の従業員だけではなく、営業店の各売り場を対象に店全体の店員教育の一環として採用させ、売り場対抗外販作戦で一石二鳥を狙った策が大当たりをして、相手経営トップからも喜ばれ、売上も上がり、通常の販売活動に上乗せとなり、おかげで販売課長として26ヶ月連続100%を達成でき、サールスマン共々、人・物・金が効率よく回転し尚且つ在庫を残す商売で無かった事が楽しかった。

  海外でも経営責任者として現地のセールスマン・拠点長と小売店を1店1店訪問し、クレームが無いかどうかなどを確認しながら、セールスコールをしたものである。店の従業員がブランドと商品に惚れこんでくれると積極的に客に売ってくれる所は、メーカーヘルパーが店に張りついている日本と異なり、セールスマンの腕の見せ所がある点、ビッグネームでなくても勝負出きるのが楽しかった。又戦略として専門誌に商品の評価記事を載せる事により、評価の良いモデルの売上がうなぎ上りに増えて行くのは、品質にこだわるドイツに合った戦略であった。

  ドイツで電子オルガンを売れといわれたときは一度断ったが、売れる条件を事業部から引き出し、ヘッドハンテイングで採用したインド系営業部長に全てを任せ、ビクター内で一番の売りを稼ぐ事が出来た。

経理  10年(国内5年4ヶ月  海外4年8ヶ月)
経理では只の数字を示すのではなく、意味のある数字を示すが、読み通せる様になるには、自ら求める意識が必要!

  中学から大学までバレーボールに熱中し、バレー部の先輩の引きで入社したビクターでまだ実業団バレーで一花咲かせるつもりであった。しかしいつかは企業人としてバレーからの引退をせねばならず、それからの時間の方が長いわけだから、入社前にビクターマンとしてのキャリアを積む上で、何から始めたら良いか悩んでいた時に、経理マンであった父に経理を勉強することは、その後何を担当してもプラス以外のものは無いと言われ、納得して経理に取り組んだ。まさか入社5年目にバレーを引退し(3年目に天皇盃を取る事が出来た)、これから本格的に経理を勉強しようと思っていた矢先、トレイニ―として米国に派遣されるとは思っていなかった。ビクターはこれから世界へ本格的に輸出し、現地販売会社を作ろう・経理は経営の羅針盤・日本人を派遣したいと言う方針が明確にされていたので、張りきって臨む事ができた。初めて選ばれたトレイニ―として、後に続く経理マンに対して失敗するわけにも行かず、如何に早くしゃべれる様になるにはどうすべきか?から注力した。

  OFFICE・APARTMENT 周辺を見渡し、現地人に融けこむ以外道ナシと,腹を固めて付合えば、先方もそのつもりで付合ってくれると言う良い循環で、スムーズに入り込める事が出来た。(つまり1に図々しい事!2に感の良い事!個人差はあるだろうが)営業経理マンとしては、BS・PL・CASH-FLOWが理解できれば、そんなに難しい事ではない。意識を持って取り組めば、理解も早くなる。

  カラーテレビの海外営業部長時代以降、現地法人との商談などに必ずBS・PL・CASH‐FLOWなどの説明をしてもらい、質疑応答をする事も相手に対して牽制にもなり、余計な販売促進費を支払わなくても良かったケースが少なくなかった。


まとめ――My Sales Points

  1. 海外での営業部門・販売会社の構築。 現地の情勢分析に始まり、他社状況の把握、人脈作り、現地マネージャーの採用・活用によるチーム作り・組織作り・取引条件制定、価格構成の分析・管理など米国・ドイツ・東南アジア諸国などで複数の経験を保有。
  2. ドイツ現地法人の経営責任者、本部の統轄責任者、厚生年金基金のトップとしての経験より、組織のリーダーシップ が取れる。国内外の会社・部門のあるべき姿の構築と経理サイドの見方での経営管理・監督指導、社内監査と人材育成が得意!
  3. 外人慣れ――外人負けしない性格。人類全て友達をモットーに懐(ふところ)に入って行く。